言動と賢さは比例するのか。

人を大切にしていると自分も大切にされる

あるとき、ふと思う時がある。
きれいな言葉を使う人は賢そうに見える。
汚い言葉を使う人は頭が悪そうに見える。
実際はどうなんだろうか?と。
汚い言葉を使う人の中にも賢い人はいるのかもしれない。だけど、汚い言葉を使って得をすることがあるのだろうか?
そもそも賢い人ってどんな人だろう?思いついたものをいくつか挙げてみる。

賢い人ってどんな人?

  • 落ち着いている
  • 自分のことがわかっていて過大評価しない
  • 謙虚で学ぶ姿勢がある
  • 知識が豊富で引き出しが多い
  • メンタルが強く自己管理ができる
  • 長期的な視野で考えることができる
  • 判断力がある
  • 行動が早い
  • 無駄なケンカはしない
  • 時間を大事にする
  • 人に流されない
  • 向上心があり勤勉
  • 本質を見抜く力がある
  • 解りやすい話し方をする

まだまだ出てきそうではあるけど、一番最後の「解りやすい話し方をする」。
これだよこれ。解りやすい話し方をするということは、相手の立場に立って、相手が理解できるように丁寧に話すということ。だから自然ときれいな言葉になるんじゃないかな。

私も賢い人って思われたいので、きれいな言葉を使って相手の立場に立って、解りやすい話し方をできるようになる。
解りやすい話し方をするためには、解りやすい話し方ができるように努力するし、落ち着きも必要だし、知識も必要。ということは謙虚で学ぶ姿勢であったり、常に勉強するわけで、先ほど「賢い人」として挙げた項目が出てくる。
もともと賢い人ではなくても、向上心を持って努力していけば「賢い人」に近づけるんじゃないかしら?と思えてくる。
賢い人への一歩。きれいな言葉をつかう。

令和の私の目標、今、決めた。

「賢い人」を目指す。